島の図書委員 小室さんの本のオススメ④「嗅ぐ文学、動く言葉、感じる読書――自閉症者と小説を読む」 ラルフ・ジェームズ・サヴァリーズ 著 岩坂彰 訳
海士町中央図書館では、図書館の運営をサポートしてくれる住民の方を募り、「島の図書委員会」を開催しています。
委員の一人である小室さんによる本の紹介、今回で4回目となります。
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何がわからないかも分からない。そんな読書をすることが最近多いと感じる。
「わからない」は褒め言葉には使われない。どちらかと言えばその逆。ただそれが自分の琴線に触れる何かがある場合、それは大切な読書になる。そんな風に思っている。
本書のP85に「精読(クロース・リーディング)」と呼ぶ読み方に関する記述が出てくる。
意味は〈まるで顕微鏡で覗くかのように。あと何週間、二章ずつ進んだり戻ったり泳ぎ進めよう。〉
今の自分の中には説明で出来る語句がなくて、そこを何度も読んでしまうことが私にもある。言葉としてはわかるのに、感覚としてはとらえられない。しかも掴めそうな気がするところが、またよい。もっとすると、そこに書かれてある意味からは少し離れて、自分の中に想起した感覚とその文章との間を行ったり来たりしながら読書する。
本書は6人の自閉症者と文学教授が読書をした体験を書き写した本。一人ずつに対し、共に同じ本を読み、その感想を語り合う。
P215〈ミックが音楽に興味を抱いているというところを最初に読んだとき、ユージェニーは「本の中に飛び込んで音楽のレッスン料を払ってあげたい」と叫んだ。彼女は若者の才能を育む話になると、とても敏感に反応する。ミックがピアノに触れ、「自分の両手がそれらの美しい新しい響きをたどるとき、これまで経験したことがない素敵な気分になれた」。「その音の形ははっきり目で見ることができたし、それを忘れることはないだろう」。〉
そんな読書体験を羨ましく思いつつ、読むとはどういうことかについて考える。漠然と思うのは、本そのものの価値と同じだけ大切なものが、読み手ひとりひとりの中に宿っていて、それは本とはまた乖離し独立したもの。独立して大切なもの。そう思う。
その感覚を私がわからなかったとしても、そのわからないと今の私の間の空間。それが読み手の数だけあるとすれば、その数だけ連鎖して読める。
だからわからないも捨てたものじゃない。ただ唯一、わからないは普段は、褒め言葉としてはつかえないことを認識しつつ、その間の空間が柔らかくなることを考え、「わからない」を探る。常にそんな感覚でいたいと願っている。
「嗅ぐ文学、動く言葉、感じる読書――自閉症者と小説を読む」
ラルフ・ジェームズ・サヴァリーズ 著 岩坂彰 訳
海士町中央図書館 島の図書委員
小室勇樹
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